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 夕食前にタニタの体組成計にも乗った!ノッタ(笑)。

自己評価:体重は1kg近く減らすべし!内臓脂肪:留意!

体重 66.6 kg

BMI 22.3

体脂肪率 14.9 %

筋肉量 53.8 kg

内臓脂肪 8.0

基礎代謝量 1,558 kcal

体内年齢 32 歳 

※ 暦年齢で乗ると、体内年齢は常時-15歳。15歳若くして乗っても常時-15歳:各々計算限界!

で、30歳若返らせて乗るのが定番で、結果 32歳!

さらに10歳若返らせて乗ると・・・ 大学生並みの体内年齢になる。が、彼女曰く「子どもより若くして乗ってどうする!止めなさ~い!!」で、近年は、生年月日を1980年9月としての値(笑)。9/26

 1990年10月29日(月)生まれて初めてパスポートを使用:竹下 登 首相当時の「ふるさと創生事業」は、全国の市町村に1億円を提供した。鳥取市は独自に1億円を加えた2億円を基金として、事業を展開した。その目玉が「勤労青年海外研修」事業で、参加資格は、鳥取市在住2年以上の勤労者、年齢4月1日現在39歳以下・・・・。8月26日()朝から居間でワープロ機と対峙していた。彼女が「真面目に何を?」と。前年度から兼務で鳥取療育園長を拝命していたが、2年目の1990年度は、組合交渉事項を小生が回答すべく求められた。で、「施設福祉から、西欧の地域福祉の動向・・・」と話したら、物置に向かい、探して「あった!」と。

鳥取市報に本企画の団員募集記事があった。予定した10人が集まらず、締切日間近の掲載とみた。

 即、自身の公務を確認した。幸運なことに、催行期間は空白だった。(既に、県教委のアレコレも受けており、前後は公務が入っていての稀な空白期間!)

 彼女に「県職員でもOKかどうか、担当に電話で聞いて、病院に結果を!」と託した。翌月曜日の午前中に「OK!」との回答を得て、昼休み時間帯に院長室(岩宮 緑 院長)を訪ね、趣旨を話した。「所属長の推薦状」「応募に係る動機の作文」・・・の条件があった。

 岩宮院長曰く「マ、ようやっとうけん、行って来いや。医者がおれば安心もされよう」と。で、推薦状を書いてくださった。即、応募に係る動機の作文もし、面接を受け、結果は団員に!事前の研修参加も義務付けられていたが、公務が多い身であり、ほぼ不参加(でも許容された)!

 応募時点での年齢は、1か月弱で40歳となる最高年齢!最若年は23歳の彼。

 10月28日() 鳥取市役所で、出発式があり、貸切バスで伊丹空港へ。わが彼女と子どもたちも見送りに。(団員仲間も妻子やフィアンセの彼などが市役所前でのお見送り。)伊丹空港至近の安宿ホテルで泊まった、翌朝、初体験のJAS機で成田空港へ。

 10月29日(月)午後便のBA機でロンドンへ!当時最新鋭の B747-400機(自席は機の後方A席)で、機窓を堪能した。(当時、アンカレッジ経由の話題も出ていたが、)新潟上空に差し掛かり「シベリア飛行だ」と、小躍り!大陸に入り、アムール川界隈で夕景を眺めた。ハバロフスクを過ぎると、ほぼ直線飛行で緯度が上がり、空は暗黒となり、地上には稀に人工の灯・・・。やがて、空が明るくなり、サンクトペテルブルク界隈で、大きく右旋回したら、主翼の下に夕陽が見えた!全く想定外のことで「夕陽に追い着いた!」感を抱いた。

 ロンドンに3泊、デュッセルドルフ、アムステルダムに1泊ずつ、パリに3泊、計4か国で8泊。滞在期間中、某団員が「大谷さんが寝ているのを見たことがない」と発言し、他の仲間も追従発言

 パリで風邪症状を呈した最若年の彼は(今や地元企業の重鎮)年齢差17歳。(2015年、スイスに誘った彼も17歳若かった。当時、トライアスロンもこなしていた彼だが、膝を痛め、今や、スイスに同伴することは不能。残念です。また、1981年度、中央病院に異動した際に、小生を評価しておられた上司は15歳年上で、随分上の“おじさん”医師でした。)

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 さらに振り返ると・・・。わが彼女との関係性が整いだした当時、親父さんが愛娘に「恭一君とまともに付き合うと早死にする」と発言した由。後年、彼女から聞いた。彼女の父は当時県内でもっとも早くに中学校校長となり、自身敬愛していたが、膵臓がんで70歳に至らずに他界された。自身としては、二人で、彼が行きつけの赤提灯(や、小生が誘う際はイタリアンバールなど)で、飲食を共にし、多くを語り合いたかった。が、叶わなかった・・・。

  当時の小生は、全く至らなかった医学生!自己肯定感が弱く、仲間にも心配をかけたほど・・・。講義に出ず、試験前(・試験中にも)アレコレと面倒をかけていた列島・不良学生でした。

 当時を象徴するマンドリンクラブの先輩談:「(医学進学過程を終えて)米子に来れん(退学)かと思ったゾ!」「(米子の医学部でも授業を再々欠席していたこともあり、「卒試に通るか心配したゾ!」「国家試験を落とすかと心配したぞ!」と発言した後、「それが何だ!卒業し(中央病院に赴任した)後は、論文をようけ書きやがって!このバカ者がぁ!」と。

 わが彼女の親父は、何を根拠に小生のエネルギーを読み取っていたのか? 娘(・わが彼女)に尋ねても「???」

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 そして今、73歳。体感年齢は33歳でOK!(タニタの体組成計では体内年齢32歳

 今なお、アレコレと、達成可能な「夢」を構築し、方策について「創造」し続け、実際に「挑戦」を重ね、本HPや東部医師会報随筆で(認知症対策を兼ねた)「表現」を続け、自己満足・自己肯定的な「感動」を重ねている日々。

 文字通り「度が過ぎる」人生となりました。

 沖縄でのカヤック三昧(初挑戦の2022年2年連続の2023年)、2024年は南回りで、ウィーンへの里帰り復活(6月初旬、エミレーツ)、単独スイスはカヤック三昧(+多少の山歩き、7月上旬、ターキッシュエアラインズ)。宮古島でのカヤック三昧もシミュレーション完了!

 今、思うに、結局、行動日程は「度が過ぎる」が、オツム研修は際限がないと確信できるのが、クラシック音楽領域!オペラは未体験・見たい件の演目が数多くある。オペラ、オラトリオでは、未体験の歌手、将来有望な新人歌手との出会い。オーケストラ演奏会では、未体験の指揮者、ソリスト。未体験の室内楽曲、コンサートホール・・・。聴いて感動した歌手、演奏団体や指揮者の追体験などナド・・・。

 未だに、“聴く力(:大脳力)”が高まりつつあるとの実感がある。この観点においても「度が過ぎる」と書くことになる・・・。

 ハテ、ウィーンへの里帰りは、毎年恒例となり続けましょうか・・・。(2012/5から2019/9の8年間に10回のウィーンは6回が単独行)。スイスも毎年の催行OK!

 さらに、(大塚国際美術館に行ったわが彼女・仲間が契機となり、)ミュンヘン連泊で、オペラ、演奏会と昼間はアルテ・ピアコテーク、ノイエ・ピアンコテーク等の美術館、博物館や公園・庭園巡り・・・。

 ロンドンはいつでもOK!演奏会、ミュージカルと美術館等、公園・庭園巡り・・・。などナド、「度が過ぎる」評でしょうが、自身としては、無理のない日常・生涯研修の一環としての感覚です。9/28記

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